自転車馬鹿は今日もカロリーを気にする。

自転車バカな運動音痴女がスポーツのことや健康のことを考えている話

私が小学生にして摂食障害になった訳。

 

どうも、あーちゃんです。

立て続けにブログを更新しようと思います。

 

今回は、

ブログを始めるまでの私という人間について話をします。

私は、前のブログで自転車にはまった話をしましたが、それだけ聞くとスポーツ好きの体育会系女子だと思われてしまうのではないでしょうか。

先に言うと、体育会系女子かと問われれば半分正解で半分間違っています。

私が運動を自分の意思で生活の一部として取り入れようとしたのは、私が摂食障害を克服するためでした。

 

摂食障害とは、中枢性摂食異常症とも言われる精神障害の1つです。代表的なのは拒食症や過食症摂食障害の多くの人々はこのうちのどちらか或いはどちらもを患っています。事実、私はどちらの症状もありました。当時はそのことに大した危機感もなく自分の体重のことで頭がいっぱいになっていましたが、今振り返るとおぞましい生活だったと思います。摂食障害は、ただ拒食になったり過食になったりするのではなく、それ以外にも自傷行為やアルコール依存、社会不安障害強迫性障害なんかとも合併するケースも多いです。平たく言えば精神的な病気なので、食べることのへの恐怖みたいなものが、社会への不安に繋がるケースは容易に想像できることと思います。

そして摂食障害はひどい場合命に関わる障害です。消化管の損傷、栄養失調、低血糖意識障害。最悪の場合心不全にまで至ると言われています。

ただの精神的なビョーキとして片付けてはいけない危険で溢れているのです。

 

私が摂食障害になったのは小学校高学年の頃でした。きっかけは、過度なダイエットでした。

小学生の頃の私は、背も高く体重も標準よりも4〜5キロほど多く所謂”健康的な”体型でした。健康診断等で、いくら健康値であって日本人は他の国に比べても痩せ型が主流の国なので、私のような体型の子供は軒並み”デブ”扱いでした。

幼い頃から、アメリカやハワイ、グアムといった場所に家族で滞在していたこともあり、考え方や生活水準がアメリカナイズされていたため、私は日本人はみんな痩せっぽちで華奢でお米ばかり食べ、ひょろひょろとしているものだと幼いながら考えていました。加えて自分は家族の生活が日本式でないことからも、”日本人”の枠に囚われず好きなものを好きなだけ食べていました。

そう、小さい頃から食べることが大好きな子供だったのです。

 

小学3年生のある日のことでした。

成長期が早くに到来していたため、同級生の男子よりも頭ひとつ分背も高く、大柄だった私。そんな私を同じクラスの男友達や女友達が、「あーちゃんはでかい。そしてデブ」と事もなげに言いました。それが、さも当たり前かのように言われたことに驚きとショックが隠せませんでした。周りよりも背も高く、大柄だったのは自覚していましたがそんなにもはっきりと(しかも男女両方から)デブと罵られるとは思ってもいなかったのです。

そしてタイミング悪くその年に、クラスの女子(のちに地元のヤンキーになるMちゃん)にいじめられたことで私の精神はどん底にまで落ち込みました。Mちゃんが私をいじめた理由は大したことはではなかったものではありませんでした。むしろ特に理由はなく、いじめをしていたようでした。これは後からわかったことですが、この時のいじめはたまたま私がその時Mちゃんの”標的”になっただけだったようでした。

 

理由は、”あーちゃんは、周りとはちょっと違うから” ”変わってるから”。

 

私は小学3年生で、”人と違うこと”が学校やクラスという社会的なコミュニティの”弱者”になることを身を持って知ることになりました。


いじめを受けて以降は、周囲のクラスメイトが私を除け者にするのは、私が周りとは”違う”人間だからだ、”私が悪いんだ”という考えで頭がいっぱいになり、せめて見た目だけでも周りのみんなと近づくために、小学生ながらダイエットをはじめました。

ダイエットの知識はほとんどなかったため、ひたすら節制してひたすら運動する、言ってしまえば”良くない”ダイエットを続けていました。ダイエットしはじめは3食のうち1食抜く生活だったのが、次第に2食抜くようになり、最終的には1日何も食べないようになりました。

この当時から早朝のランニングを行い、両足には重りを付けて生活し、摂取したカロリーをすぐに消費しようと必死になりました。週に1回のスイミングスクールでは満足できなかったので通学用のスニーカーを履き潰しました。

また、この頃から下剤の服用をはじめ、胃に入れたものは全て出さなければ気が済まなくなりました。

体重計は毎日最低5回は乗り、計測していました。はじめは自分の体型の変化を徹底的に管理するために計測していましたが、次第に体重計に乗らないと気が済まなくなり、100グラムでも以前より増えていたらひたすらカロリーを消費するためランニングをしたり、長時間湯船に使ったりなど”行き過ぎた”ダイエットを繰り返し続けました。

このダイエットは小学校の卒業以降も続き、中学・高校までこの生活をし続けることになります。

 

そして、

小学校を卒業した時の私の体重は45キロ。身長は160センチを既に超えていました。

体脂肪率は10パーセントでした。

 

私は、この行き過ぎたダイエット生活をこの時点でやめるべきでした。

この頃の体重がおそらく現在の日本の”痩せ型”と言われている体型だったのですから。

しかしながら、この時の私は既に”自分の体重を如何に削るか”ということしか考えていませんでした。

 

あーちゃん